「しあわせはいつも自分の心が決める」
相田みつをさんの言葉です。
この「しあわせ」とは人間として生まれたうえで誰しもが考える永遠のテーマでもあるでしょう。
では人は何をもって「自分がしあわせである」と思うのでしょうか。
先進国日本における国民の経済的な豊かさは他国に比べても非常に高い水準を保っています。
誰もが学校に通うことができるし、毎日食事をとることができる。
学生のころからスマートフォンを携帯し、誰もが将来に夢を見ることができます。
そんな日本が実は世界で見ても自死率が最高水準に高い国であることはご存知でしょうか。
非常に残念でなりません。
日本人の心に一体何が起こっているのでしょうか。
お釈迦様はこの世を一切皆苦と表現されました。 生まれてから命なくなるまで、苦しみの連続であると説かれました。
確かに、どんな生き方をしていても根本的に逃れられない苦しみは多くあります。
誰しもが病にかかり、誰しもが愛する人との別れを経験し、 誰しもが人付き合いに苦しみます。
そして、求めたもの全てが思い通りに 手に入らない現実があることは誰しもが知っています。
それだけを見つめては苦しみだけの世の中に見えてしまうのかもしれません。 誰しもに大なり小なり平等に与えられる苦しみがあります。
誰しもが耐え忍び毎日を必死に生きているのです。
次にお釈迦様は苦の上に楽があるとお説きになられました。 すべての楽は苦を知っているものにしか訪れないということです。
苦しみを知って初めて物事の大切さを理解します。
苦しみを知って与えられたやさしさのありがたみを知ることができます。
「幸せ」とは 枷(かせ)の束縛から逃れた時ような心の様であると表現されますが、まさに苦しみの先にこそ本当の楽があるということです。
「幸せは歩いてこない」そんな歌詞がありますが、 自ら耐え忍んだ先にこそ見つけられるものなのかもしれません。
しかし、それを相手に求めてしまっては元も子もありません。 どうか後悔する前に、手を差し伸べてあげてください。
その手に救われる人が身近にもたくさんいることとおもいます。
それはきっとお互い様になり、仕合わせの連鎖を作っていくのではないでしょうか。
これこそが菩薩道であり、仏の教える道であります。
利他のこころであります。
何かできることがあるはずです。
今こそおせっかいの日本人の心を取り戻したいものです。
南無阿弥陀仏