明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
令和四年のお正月は皆様はどのように過ごされましたでしたでしょうか。
浄楽寺では元旦の修正会を滞りなく成満し、 新年を快調にスタートいたしました。
修正会でも昨年より多くの方のお参りを頂き、 つかの間の平生を感じました。
お正月ふと落ち着いてTVを見ておりますと、 マスクをつけていない人々の映像が流れました。
「あぁこれはコロナ前のものだな」 と新鮮味を感じたものです。
またオミクロン株が猛威を振るっておりますが、
コロナ禍が長く続くこの二年間、 社会情勢も生活にも変化が起こりました。
ついつい大きな変化ばかりに目が行きますが、
無常のこの世において、 変わらないものはありません。
諸行無常・諸法無我、 全ては変化するとお釈迦さまが説かれました。
老い、病、出会いと別れ、人間関係。
全てが変化する世の中で、
「変化」は拒絶するのではなく、 許容し、臨機応変に対応することが大切です。
ストレス、怒りは思い通りの変化がともなっていない状況です。
そういった負の感情を感じたら、 落ち着いて自分が何に苦しみを感じているのかを考えてみる。
そして、変化を許容し理解することで苦しみを和らげることができます。
そうはいっても、 思うとおりにコントロールできないのがこの娑婆世界です。
念佛のみ教えを広めてくださった浄土宗宗祖の法然上人は、 その時代一番の僧侶と称えられていましたが、 自らを三学非器と譬えられました。
三学とは豊かに生きる上で修めなければならない仏教の修行で、 戒・定・慧のことを指します。
仏教の戒めを守り、 心を常に整え、 正しい智慧を得る。
その仏教で修めるべき修行の一つも満足に修められないと嘆かれた法然上人は、 阿弥陀如来のお力を頂くことのできる念仏に光明を見出しました。
三学は修められなくても、 念仏は誰にでもできる。
三学を極めなくても、 誰でも平等に阿弥陀仏のお救いを頂くことができる。
そこには、嘆き、悲しみ、涙し、怒り、 「変化」を許容することのできない我々でも、 この身のままに救われる道があるのです。
一月二十五日は法然上人の忌日法要、御忌です。
「御忌」とはもともと、 天皇や皇后の忌日法要に対する敬称でしたが、 大永三年(一五二三)に、 「法然上人の年忌を『御忌』とし、毎年一月に七日間の法要を勤めるように」 との詔勅(しょうちょく)が後柏原天皇から総本山知恩院に下されて以降、 特に法然上人の忌日法要にこの言葉が用いられています。
多くの衆生が救われる道を説いた法然上人は、 国を挙げて弔われたのです。
豊かにこの生を歩み、最後には極楽に向かいたいと思う念仏の同法は ぜひとも二十五日にはいつもより多く念仏をお称えください。
この令和四年、目の前のことばかりにうつつを抜かさず、 本当に豊かに生きる道にも目を向けてみてください。
仏教と法然上人の教えにはそれがあります。
南無阿弥陀仏