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副住職

心に栄養!霊場参り!


132年に一回の三浦薬師如来、不動尊の開帳も残すところあと

一週間を切りました。

全てお参りされると『結願証』という

「全ての札所をお参りした証明」をいただくことができます。

さすがにこの終盤の時期になりますと、結願証を求めてお参りされる方が

増えてきます。

結願証をお渡しする際は各札所全てをお参りされているかを

責任を持って確認しなければなりません。

専用の朱印帳でお参りされている方は抜けがないようにできていますので

忘れているところがあると一目瞭然。すぐに発見することができますが

ご自身の朱印帳でお参りされている方は順番も不動薬師も混合して

朱印をいただいているので抜けていることも度々です。

人間ですから、抜けていることもあるでしょう。

これを「これもご縁ですからお参りさせていただきます」と思うのか

「なんだよ。まだ一つあったよ。めんどくさい」と思うのか。

この霊場参り、本来ですと薬師如来様やお不動様になんらかのご利益を求めてお参りするわけです。

ですから、そのような心持ちでお参りされる方というのは、各札所で仏様や明王様に

きちんと手をあわせ、数秒間から数分間目を閉じ、心の中で仏様に「どうかお助けください」と助けを乞うて頭を下げます。

一つ一つの仏様に願いをお伝えするお参りです。

そしてお参りさせていただいた札所の仏様といつもお近くにいさせていただくための

朱印帳です。(本来ですと納経が必須でしょう)

しかし、霊場参りもその想いや本来の目的を忘れて、スタンプラリーとなってしまうと

傲慢な気持ちでのお参りになってしまうことがあります。

そんな方も度々お見かけいたしました。

始めは仏様にお願いして回るお参りもいつのまにか

「すべての霊場を回らなければならない」、「全ての朱印を集めなければならない」

というふうにその目的が変化してしまっているのですね。

そうなると、

「ここの朱印を押す人は遅い、はやくしてくれないかな」

「バスの時間があるのだけれども」

「今日中にどこどこまでお参りに行かなければならないのだけれど」

「時間がない・自分の思い通りじゃない」と自分勝手な思いが心の中を占領してきます。

霊場参りで心が浄化されていくどころか、余計荒んでしまう原因にして

いるわけです。

表情もどんどんいらいらしたような顔つきになっていきます。

なんのためのお参りでしょう?

大変残念に思います。

人は心に余裕がなくなりますと

他人の嫌なところや、自分の方が優っていることを探し始めます。

妬みの心がうまれます。

そして心の中で愚痴を言い始めます。

仏教では「身口意」といいますが

心で思い口に出し体で行動する。

ですから出発点である、こころで思う愚痴が1番罪が重いわけです。

その心を綺麗にするためのお参りであり、

こんな自分のことも救ってくださる仏様にすがり、

そんなことを思ってしまう自分という至らない存在への気づき

こそが大切なのではないでしょうか?

普段の生活の中では、いつも身勝手に自分のことばかり考えてしまう我々です。

せっかくのお寺参りですから

すこし心に余裕を持ち、時間にゆとりを持ち、

普段の自分を反省するそんな機会にしていただけたら幸いです。

そして浄楽寺は浄土宗のお寺です。

この機会に、そんな至らない我々でもお救いくださるとお約束してくださった

阿弥陀様の本願にそって「南無阿弥陀仏」のお念仏をお称えしてください。

身口意のお念仏。

合掌し声に出すお念仏の功徳でその罪障も洗い流してくれることでございましょう。

あとすこしにはなりますが、皆様の霊場参りのその

願成就を祈念いたします。

お気をつけてお参りください。

合掌


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