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副住職

「春のお彼岸」


「あなたの声を電話で聞いただけでその日一日こころがなごむ。理屈じゃねぇんだよなぁ」

相田みつをさんの詩です。

毎年、彼岸やお盆、命日を迎えますと、あぁ恋しいなぁ、一緒に話したいなぁと思うことがあります。

皆さんにもそんな友人や家族がいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、この世にいなければその望みもかないません。

本当につらい世の中だと思います。

人に与えられた平等は「生まれること」と「死ぬこと」です。

私たちも必ずこの世を去る時がやってくるのは言うまでもありません。

それが早いか遅いかの違いです。

私たちは幼いころから自分の道を自分で決めて歩いてまいりました。

小学校、中学校と通い、選んだ高校に行き、その後は進学するのか就職するのか。進学して学問を突き詰めるのか、就職してすぐに社会に出るのか。

働くとなれば自分の身の丈に合った企業に応募し働き始めます。

どこの地域に住みたいか、家を借りるのか買うのか。

好きな人ができて子供ができれば結婚し、家族を持ちます。

長年働いた勤務先を定年で退職し、もう少し働いてみるのか、それとも趣味に没頭するのか・・・

などなど自分で決めて歩いていく人生です。

しかし、多くの人が自分が生きている間のことしか考えておりません。

今日眠り、明日起きることが当たり前だと思っているのです。

私たちは「必ず」臨終を迎えます。

ですから、今までと同じようにこの人生の先は次はどうするのかを事前に自分で決めなければいけません。

この命尽きた後はどこに向かうのか。

どこに向かいたいと望むのか。

六道輪廻の世界です。

生まれ変わり死に変わりの世界です。

生まれた瞬間から苦しみが付きまとうなかなか抜け出せない地獄なのか

腹がすいても食べられない渇欲の世界、餓鬼の道なのか

虫や人以外の動物、畜生の道なのか

争いの絶えない修羅の世界なのか

煩悩から抜け出せず、絶えず欲から生まれる苦しみに悩まされる人間なのか

寿命は長いが、生きたくない年まで死ぬことのできない天人なのか。

どれを選んでも苦しみから逃れることはできません。

我々に残された道は一つです。

日々の口、心、体でおこなう全てのことが地獄に行くのが当たり前といわれる我々。

そんな我々を救いたいと望んでくださり、導いてくださるのが阿弥陀様です。

お念仏でお願いし、極楽浄土へ導いていただきましょう。

極楽浄土は愛する人たちと再会できる唯一の場所です。また家族と再会したいと望むなら、今のうちから一緒にお念仏を称えましょう。

お彼岸にはお墓詣りとご本尊参りを欠かさずに。 

 南無阿弥陀仏

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