火葬が終わったら、遺骨を骨壺におさめるね。
僧侶が読経している最中、たいていは男女が向かい合い、二人一組になって、二人で箸を使い遺骨を挟んで骨壺に入れる。(最近では男女ペアということもないか・・・)
これを「箸わたし」といっているんだ。
今では注意する親も少なくなったようだけど、かつては食事の時に箸から箸へとおかずをわたすと、こっぴどく叱られたものだよ。
みんなも子どものころに同じ経験があるんじゃないかな?
これは骨あげのしきたりからすると「縁起でもないこと」とされるからだね。
それというのも、箸わたしの箸は、三途の川の「橋」に由来されるといわれているんだ。
故人が「無事に三途の川を渡れますように」と願いを込めて、向かい合った二人で共に遺骨をはさみ箸わたしをするというわけだね。
そう聞くと絶対に落とせないような責任を感じてしまうね。ご当地ルールもあるから一概には言えないところだけど、遺骨を拾う時は、歯から拾っていって、足、腕、腰、背、、肋骨、頭骨の順に拾うのが通説。最後にもっとも故人と血縁の濃い人が、喉ぼとけの骨を拾って骨壺の一番上に置く。
「喉仏」というように、この部分の骨はお釈迦様が座っている格好をしていて、有難いものと考えられているんだ。最近では大きな骨は火葬場の職員の方が先に取ってしまうので、順番もあまり気にされていないような気がするよ。
骨あげのしきたりについて説明したけど
忘れないでほしいのは浄土宗では即得往生だということ。
南無阿弥陀仏のお念仏を称えられた人は三途の川を渡らずに極楽に導いていただけるということ。
困ったときの神仏頼み?
いやいや、今のうちから南無阿弥陀仏。