そうだね。
日本では一番なじみ深い菩薩様はお地蔵様かもしれないね。
みんななんでそこにお地蔵様がいるのかは知らないかもしれないけど、
自分の住んでいる地域で一つくらいお地蔵様を見ることはできるよね。
昔はそれほどにお地蔵様に救いを求める人が多かったんだ。
お地蔵様=地蔵菩薩は、お釈迦様がなくなったのち、
五十六億七千万年後に弥勒菩薩がこの世にあらわれるまで、
お釈迦様の代わりに人々を救うためにこの世に出現しているという菩薩様なんだ。
地蔵という名前の由来は、大地が種子を差別なく成長させ開花させてくれるように人々を救い、願いを叶えてくれるということからきている。
「お地蔵さん」といえば昔はどこの村にも立っていたが、この人気は「地蔵和讃」というお経の物語が人の心をうったためだろう。
「十にもならぬみどり子が、賽の河原に集まりて、父恋し母恋し、こいしこいしと泣く声は、この世の声とはことかわり、悲しさ骨身を通すなり」
この物語は、幼くしてこの世を去った子供が三途の川の河原で泣く姿を描いたものなんだ。
幼い子供は河原で「一つ積んでは母の為、二つ積んでは父の為」と、石を積んではかわいらしいもみじのような手を合わせる。
そこへ鬼が現れて、情け容赦なく積まれた小石をぶち壊し、子供を責める。
いくら泣きわめき、父母を呼んでも、誰も助けに来ない。
子供が泣き疲れて寝入ったところに現れて、
「今日よりのちは我こそ冥途の親と思うべし」
と救ってくれるのが地蔵菩薩だったという話だね。
幼い子供を失った親心は、せめてあの世でお地蔵さんの加護にあずかりたいと、生前に子供が使っていたよだれかけをお供えしたんだ。
昔の日本では子供が立派に育つのは当たり前じゃなかった。
たくさんの子供を失った親がいたんだ。
「せめて自分がしてあげられることを」と、お地蔵様に助けを求めたんだね。
お地蔵さんを見かけたら手を合わせて
南無阿弥陀仏のお念仏でお地蔵さんを応援してあげよう。
南無阿弥陀仏