top of page
副住職

ネット法話「厄災消除の除夜?」


今年も早いもので十二月。

あなたにも色々なことがあったことでしょう。

たくさんのうれしいこと、悲しいことが

あったのではないでしょうか。

振り返ることもできないほどの世話しない「師走」です。

思い出したくないこともありましょうが、

ぜひ心を落ち着かせて振り返ってみてください。

何かそこには気づきがあるかもしれません。

この師走に入りますと時の流れが加速したような

錯覚を起こします。

あっという間に新年を迎えてしまいそうです。

いつも不思議に思うのですが、12月31日から

1月1日に日付が変わりますと、本当のところ、いつもと同じ「昨日」から「明日」になっただけなのですが、なんだか心もソワソワ、一年が始まった気がします。

「よいお年を」でお別れして、

「今年もよろしく」となるわけです。

そう考えますと、やはり大切なのは心持なのでしょうか。

日本の大晦日には

「歳神様をお迎えする為に寝てはいけない」

という神様信仰の除夜(起きているから夜がない)に、

お寺で「今年の罪・煩悩を祓うとして一〇八煩悩の回数だけ鐘を衝き」新年を迎えます。

昔は今年の正月様(=歳神様)が今年の恵方(今年の歳神様の方向)より元旦の日に各家に来られるということで、「歳籠り」として家を出ることがありませんでしたが、明治からは、こちらが神社やお寺に初もうでとして出向くようになったといいます。

「今年も色々なことがありました。失敗もありました。成功もありました。それでも今年作ってしまった罪の垢を落とさせてください」

そんな心持で大晦日にはお寺に向かい

心機一転

「昨年も色々ありましたけどお世話になりました。今年はもっといい歳になるように頑張りますので、よろしくお願いします。」

皆さんもそんな心持で初もうでに向かうのではないでしょうか。

日本の信仰といいますのは他国に比べますと特殊な部分が多くありますが、慣習の形は変われど、人のココロは変わっていないのだろうなぁと考えます。

この年の暮れにもなりますと年の初めに約束したはずの「志」もなんだったか思い出せないような…

そんな私たち(私だけでしょうか…)ではございますが、忘れてはいけないのは「もしかしたら来年こそ最後の年になってしまうかもしれないという現実」です。

生者必滅の理のもとに生れてきた私たちですから平等に一回の最後をむかえます。

どんな自分を目指すのか。

どんな最後をむかえたいか。

縁起でもないことを言うなといわれてしまいそうですが、今年の自分を振り返りながら、自分の心の中では考えておくべきではないでしょうか。

私たちの日々の行いがそれぞれの1年を作ります。

私たちの日々の行いがそれぞれの一生を作ります。

どうか志を高く持ち、

精一杯の毎日を生きてまいりましょう。

この世での最後の後には、阿弥陀仏と極楽浄土が待っていてくださいます。

まずは今年一年の垢をお念仏で洗い流しましょう。

日々にお念仏を。

南無阿弥陀仏

閲覧数:140回

最新記事

すべて表示
bottom of page