日本語は他国に比べても、ワードが非常に多いです。
日本人として正しく本来の言葉の意味を理解して言葉を使いたいものです。
そんな本日は「親玉」ということばについて。
~おごり高ぶる心~
「我慢」という言葉は、元来の仏教用語では「自分が自分が」という利己的な心を指していた。
道元という禅宗のお坊さん(曹洞宗の開祖)は「汝、仏性を見んと欲せば、先ずすべからく我慢を除くべし」といっている。
仏教の教えを知りたければ、まず、「自分が」というおごり(我慢)を除くことだというのである。
つまり、「我慢」とは、もともと「我が強く、こらえることができない」ということで、現在の意味とは正反対になっているわけだ。
しかし、よく考えて見れば、忍耐とは自分の中のそういう「我慢」に気づいてこそできるのではないだろうか。
自分の欲が「よくないこと」と気づいているからそれをコントロールしようとするわけだ。
だから現在の「我慢しなさい」 というお説教は、「自分の我慢に気づきなさい」ということなのだろう。
子どもに何気なく言っているこの言葉は、実に高度なことを要求しているのである。
我が我がの「が」を捨てておかげおかげの「げ」で暮らせ。
感謝の心と自分の足元を見失わないように。
我慢を取り除くその心の先に本当の安らぎがあるのかもしれません。
南無阿弥陀仏