お釈迦さまは三十五歳でお悟りをひらかれ、 その後入滅の八十歳まで広く教えを説かれました。
二月十五日は、仏教を開かれたお釈迦様の入滅(お亡くなりになること)された日とされ、世界中でお釈迦様への報恩感謝をささげる「涅槃会(ねはんえ)」が営まれます。
涅槃会で掲げる涅槃図には、お釈迦様の最後の様子が描写されています。
頭北面西に横たわられ、周りには多くの弟子がお釈迦様を囲みます。
この様子は、現代の葬儀の原型とも言われています。
涅槃とは、お釈迦さまが亡くなられたことを示しますが、 死を表す言葉ではありません。
それどころか仏教にはほんとうの「死」は無いと説かれます。
死とは肉体の滅亡を意味しますが、 仏教ではその先に輪廻があり、また新しい生に引き継がれる転生を説きます。
死を超越したお釈迦さまは、限りある肉体から離れ、 永遠の命となることを自覚しておられました。
涅槃とは明るく燃えているろうそくの火を吹き消すように、 煩悩の火が吹き消された状態のことを言います。
この世の煩悩と離れ、清浄なる身となるのです。
涅槃図を見ると、弟子の阿難尊者もお釈迦様の涅槃を讃えながら、 寂しさに涙しています。
たくさんの方に祝福され、さらにそこには荘厳なお姿がありました。
お釈迦様が生涯かけて努めてこられたことが人々の姿に表されています。
我々にもいつかこの肉体と離れる時がやってまいります。 それは今日かもしれませんし、一年後かもしれません。
そういう無常なる世界で生きているのが我々です。 果たして、今入滅を迎えたとして、親しき人に心から祝福していただけるのでしょうか。日々に精一杯で、自分のことばかり考えてはいないでしょうか。
その挙句、心に棘を生やし、触れる相手を傷つけてはいないでしょうか。
人として生きていくうえで、人とのかかわりを避けることはできません。 人がいて苦悩を得ますが、人のおかげで幸福を感じるものです。
無始を説き、無死を説く仏教の教えの中には一生で終わらない豊かな歩みが説かれています。
この先にどんな生き方を選ぶのか、一度真剣に考えておきたいものです。
南無阿弥陀仏