2024年、法然上人が43歳で浄土宗を開宗されてから850年の月日が経とうとしています。
現在、全国では浄土宗開宗850年を記念して様々な事業が行われています。
昨年、浄楽寺におきましても、 増上寺布教師会の神奈川メンバーにて、 記念対談・記念念仏などが行われました。
800年以上もお念仏が縁としてつながり、 現代のわれわれの元にも教えとして伝わっているとは、本当に有難いことです。
法然上人がお念仏のみ教えに導いて下さらなければ、 来世での極楽往生は叶わず、輪廻を繰り返すばかりでした。
この850年のありがたさを皆さんにも感じていただくために、 法然上人の一代記を連載でお送りしたいと思います。
「十一、法然の専修念仏の広がり」
大原談義を経て法然の教えは広がっていきます。
一一九〇年、大原談義にも参加していた東大寺勧進職(かんじんしょく)の俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)より、
再興中の東大寺大仏殿の軒下で浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)の講説を
依頼されます。
東大寺はこの十年前、かの平重衡により南都焼き討ちにあい、 大仏殿もろとも灰燼に帰していましたが、 既に再建に取り掛かっていました。
その勧進職に就いたのが重源で、 一説では当初法然に勧進職を依頼したが法然はその器ではないと固辞して重源を推挙したと伝えられています。
重源は熱心な念仏者で、
法然の専修念仏を奈良でも広めたいと講説を依頼したのでした。
しかし、その意に反して、講義の当日には南都顕学や大衆が押し寄せ、
法然に対して失墜をもくろむ質問攻めとなったのです。
そこで法然は称名念仏こそがだれでも極楽往生できる教えであり、
最適な方法であると披瀝しました。
さらに、当時認められていなかった女人往生についても説き、
既存の僧侶を驚かせています。
一一九四年頃になると法然の専修念仏に耳を傾け、帰依する人が急増していきます。
法然自身にも浄土宗としての新たな教義を体系化する動きが見られます。
中原師秀への逆修説法(生前に功徳を積み極楽往生を確立するための法要、説法) のなかでは、この世での悟りではなく、極楽浄土での往生を目指す「浄土門」を説き、 この世で悟りを得る少人数を救う教えではなく、 だれもが往生できる教えとして専修念仏を伝えました。
そして、浄土宗という宗派には正当な系譜はないとされてきましたが、 新たに、浄土五祖という中国浄土教の祖を挙げ、 脈々と伝えられてきた正式な宗門であることを伝えます。
これにより、浄土宗という宗派が認められるようになっていくのです。
続く
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