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仏教を学ぶ!「中陰の旅はなぜ四十九日なのか?」

執筆者の写真: 副住職副住職

「七つの裁判と六道への入り口」


仏教において死んだ人の行き先は、輪廻転生を繰り返す「六道」の世界か、 輪廻転生を離れた悟りの世界としての広い意味での「浄土」の世界かのいずれかとされています。


輪廻する六堂とは地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道の世界です。


死して浄土にうまれない限り、 六道のいずれかに転生し、 苦しみと迷いの輪廻を繰り返すことになります。


臨終を迎えると「中陰の世界」に行きます。


中陰は現世と来世の間の世界です。


ここを旅しながら、七回の裁判を受けて次の世界が決まります。


裁判は七日おきに開かれ、最後の裁判は四十九日目にあたります。


葬儀の後の七日から四十九日まで法要が続くのはまさにこの期間です。


死者が七つの裁判でさばかれるのは、 殺さない、盗まない、不倫しない、嘘をつかない、酒を飲まないの五つのおきて、 すなわち五戒破りについてがその主な対象となっています。



「輪廻転生と浄土往生の違い」


輪廻転生とは上記の通り、生と死を繰り返す中で、迷いの世界「六道」を抜け出すことのできないことを差しています。六道ではどこの世界に行ったとしても大なり小なりの苦しみから離れることができずそれを永遠に繰り返すことこそが一番の苦しみであると説きます。浄土への往生には二つの道があります。一つは自分で悟りを得て自分の浄土(仏国土)を建てる方法、二つにはまず念佛で極楽浄土(阿弥陀仏の浄土)に行き、そののちに自分の浄土を建てる方法です。この世で自分で悟ることを目指す教えとまずは極楽に行くことを目指す教えがあり、浄楽寺は浄土宗なので後者になります。この人の世界でしか仏の教えに出会うことができないので、この世界で浄土への道を歩むにはこの二つの方法で望むしかないと説かれます。ですから法然上人は念佛を欠かすことなくお称えし阿弥陀仏に救っていただくことを勧めています。




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