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執筆者の写真副住職

11月のネット法話「安心して生きる」

 本格的に秋の香りがしてきました。


食欲の秋、紅葉の秋、読書の秋。多くの方が楽しみにされていたことと思います。


好きな季節は?と聞かれて、その大半が春か秋と答えるものです。


夏の苦しい暑さ、冬の厳しい寒さ、 そこから過ごしやすい気候へと変わっていく両季節は、 苦しみから離れ楽を得る機会でもあります。


乗り越えた喜びを感じるひと時でありましょう。


しかし当然のことながら、夏が、冬が好きだと答える人もいます。

いずれにせよ、求めるものは人それぞれであります。


 さりとて誰もが求めるものもあります。


それは「安心」です。


安心とは心が安らかである状態を示します。


満ち足りている状態といっても過言ではありません。


求めるものが明確で、それを手に入れることができる環境や手に入れるための努力、 運、ときにはあきらめもあって、ストレスから離れることで安心は生まれます。


不安なく生きていけることはどんなにありがたいことでしょう。


仏教においても「安心」はとても大切なことととらえます。


その読み方は異なり「安心」と書き、アンジンと読みます。


このアンジンとは世俗にまみれた不安定な心から、 目指す先を定めてそのために一心に生きるという安定した状態を指します。


では仏教徒はどうやって安心を得ることができるのでしょうか。


仏教では過去世、現世、来世という三つの世界を説きます。


人は生まれ変わり死に変わり、六つの世界を巡っている。


その輪廻から離れることで、再び同じ苦しみを受けない状態を望みます。


こと浄土教においては、お念仏をとなえて阿弥陀仏のお迎えをいただき、 極楽浄土に往生するのが最短の道です。


お念仏をとなえるといってもただ何も考えずにとなえるのではいけないと説かれます。


三心をもって念仏をとなえるものにこそ、阿弥陀仏の来迎があるというのです。


三心とは、「至誠心」嘘偽りのない誠の心で極楽に行きたいと望む心、 「深心」念仏すれば必ず極楽に生まれると一念も疑わない心、 「回向発願心」自分も極楽に生まれるのだと信じて、

念仏行の功徳、日々の行いを、その心を極楽に向けることを指しています。


どれも違うことを言っているようですが、すべて「願往生」の心が礎にあり、

その上にこの三つの心が育まれます。


浄土宗においてはこの三つの心を持ち合わせている状態を 「安心(アンジン)」と呼んでおります。


生老病死の苦しみはすべての人が感じることです。


それに加え、愛する人との別れもあり、求めるものがすべて手に入るわけでもなく、 嫌いな人とも会わなければならないこともあります。


日々の生活の中で不安をぬぐいきることはできないでしょう。


精一杯生きるしかありません。


しかし、その先に、後生に、極楽浄土に迎えられると信じることができれば、

どんな苦しみも乗り越えていけるでしょう。


この秋には心の安心を求めるだけでなく、 念仏の「安心」を育んでまいりましょう。


南無阿弥陀仏

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