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執筆者の写真副住職

12月のネット法話「万機普益」



早いもので年の瀬です。


一日の積み重ねが一年を形作るわけですが、 二〇二三年はどのような年になりましたでしょうか。


この十二月はあらためて一年を振り返りつつ残りの日々を過ごしたいものです。


年月を積み重ね生きるというのはみな同じでありますが、 その生き方は千差万別です。


人生を作る「人」も当然のことながら十人十色であります。


「梅の木に梅の実、柿の木に柿の実、それでよいのです」

相田みつをさんのことばです。


みんな違いがあってよいのです。


みんな同じじゃないからこそ、 それぞれの魅力があるのです。


阿弥陀経にも「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」と説かれます。


これは極楽浄土の蓮池に咲く蓮の花は、 青色の蓮は青色の、 黄色の蓮は黄色の、 赤い蓮は赤の、 白の蓮は白の光を放ち輝いているという教えですが、 蓮池の蓮はこの世で生を終えた我々が念仏の教えで極楽に生まれる姿をあらわしています。


それは争いなく共生し、 自他を認め、 ともに輝くという人本来の姿であります。


それぞれの生き方があり、 キャラクターがあり、 信念がある。


極楽の蓮池にもあらわされるように、 さぞ美しい様子でありましょう。


是非とも実現されたいものです。


お釈迦様がいらっしゃったころ、 様々な高僧が生まれ、 覚りを開く弟子が多かったようです。


それぞれの弟子に対してお釈迦様が行った対機説法が成す術であります。


「機」とは人の器のことを指しますので、 つまりその人の生活環境や能力、 性格という器に対して、最適な教えを説くのが対機説法です。


結果としてお説法は膨大な数になりました。


日本ではその教えの中のそれぞれの「ある一節」を基とした 「宗派」が生まれました。


各宗派はいずれも尊い教えを大切にされていますが、 「対機」ではなく「教え」ありきで伝えるようになります。


しかし、一つの教えではすべての人に適応する修行とならないのが現実です。


できる人もいればできない人も生まれます。


現代においては覚りを開くことが非常に難しいと言われるゆえんであります。


「仏教はすべての人の苦しみを除き、覚りへと導く教えである。」


それぞれの違いは尊いものですが、 違いがあれど、だれにでも対応する教えが仏教には必要でした。


その信念を曲げなかったのが法然上人です。


念仏は六字の名前をとなえるという、誰にでも修することができるうえに、 求めるものすべてを必ず極楽に導くという誓いのもとに阿弥陀仏が本願とされた修行です。


万(よろず)の機(人)を普(あまね)く利益する(救う)念仏の教え。


法然上人は、万機普益の教えは念仏のみであると説かれたのです。


まずは明日を思い、新年を思い、来世を思い、一年を念仏でおさめましょう。


南無阿弥陀仏


#除夜の鐘 #法然上人 #念仏 #浄楽寺 #ネット法話

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