さて、師走となりました。年末の大掃除、年賀状、お歳暮、鏡餅、忘年会、新年の準備にしめ縄、門松と慌ただしくなってまいります。忙しいときにこそ足元を見てしっかりと自分を見つめなおしたいものです。
「みなさんには一日八万六千四百円のお金を平等に支払います。しかし、そのお金は翌日に繰り越すことも貯めることもできません。どう使いますか?」と言われたらどう考えるでしょうか。繰越せないので投資に使うことはできませんし、銀行に預けることもできません。すべて今日中に使い切らなければもったいないような気もしますが、できるだけ大切に慎重に使いたいものです。実はこの八万六千四百という数字は我々が一日に与えられた時間です。一日二十四時間なので八万六千四百秒が与えられています。時は金なりといったものですが、まさにこの秒数をどのように使うのかによって平等に与えられた可能性をどう生かすことができるのかが決まります。また、どう使うかによって自身や家族や友人がどれだけ幸福を感じられるのかも変わります。限られた時間のなかでできることには当然のことながら限りがあります。取捨選択して優先順位を考えて行う必要があります。みなさんは日々の中にその習慣を忘れずに過ごすことができているでしょうか。
一年という大きな単位で物事を見ると、一年は一日の積み重ねでありながら、一日一日の詳細を振り返ることはできません。印象に残った大きな出来事を振り返り断片的に一年をとらえることになります。しかしそれでは本当の意味で振り返るということにはつながらないでしょう。ですから本来は一日が終わったら一日を振り返り反省し翌日に備えるのが望ましいのです。その繰り返しの先には、結局のところ一年を一日ごとに振り返ることになるのです。振り返ることも先延ばしにせず、毎日の習慣といたしましょう。
しかし、どれだけ振り返ったとしても主観から抜け出すことはできません。自覚なく行った罪悪を反省することはできません。我々人は、最善と思いながら遠回りをし、良かれと思いながら悪事をなします。そして自覚をもって悪業を行い、慣れてしまえば繰り返してしまいます。そういう「戒」を上手に保てない存在であります。だからこそ、日々に念佛をお称えし、その罪を悔い改め、仏さまに救いを願うのです。まずはまとめてお掃除するにも仏名会にお参りください。そこから習慣を作っていきましょう。南無阿弥陀仏