えらいお坊さん。
いろいろな視点による「えらい」が存在するね。
そもそも「偉い」には「立派」という意味と「地位が高い」という意味があるよね。
どちらを目指すのかで行いは変わるといえる。
出家し僧侶になる目的とは、悟りを得て自らを救い、 さらにはその教えで教化して人々に救済の道を開くことにあるんだ。
これは菩薩道ともいい、僧侶として生きる正しい道しるべだね。
本来は、それ以外の邪心は持たないことが望ましいとされる。
出家者が比丘・比丘尼と呼ばれていた古代インドの仏教教団では、 覚りに近いものがより尊敬を受けていたんだ。
つまり、年齢や財産の基準ではなく、修行期間の長短が重要だったといえるね。
けど、今の日本では、 僧侶の階級というのには宗派のご都合が複雑にからんでいることは否定できない。
例えば、所属する寺院の格式や本山への貢献度、 檀信徒の数、地位の高い人との血縁関係などが「偉い」に直結しているのが現状なんだ。
そして、世襲制が基本となっている寺院の継承のもと、 階級も継承され、何も能力のないような坊主が偉くなってしまうこともある。
まさしく親の七光りが現実にあるんだ。 経済活動にも参加している僧侶の立場としては、 覚りを目指す生活だけでは生きていけないのが現実なのもわかる。
でも出家する以上、正しい目的は忘れず、 結果として尊敬されるような教化に取り組んでほしいものだね。 合掌
#偉いとは #菩薩道