お経とはお釈迦様の教えが書かれたものだね。
教えは口伝。
口伝えで伝えられることが大切にされたんだ。
でも、お釈迦様が教えを書き残さなかったから(ではだれが記したのか?)、
弟子たちの間に師の言葉をどう解釈するかについて少しづつ違いが出てきたんだ。
そこで、師の教えを確かめ合い、編集する会議が開かれることになった。
これが「結集(けつじゅう)」と言われる集会だよ。
お釈迦様の弟子の中でも優秀な人が主任となって、師の教えを復唱し、集まった五〇〇人が確認しながらお経をまとめて行ったんだ。
インドでは今でも伝承叙事詩「ラーマーヤナ」のように口伝えで語り継ぐ習慣がある。
弟子たちは師の教えを忠実に残そうとしたのだけれど、
弟子が増えてくると、違った意味で受け止めるものもでてきたんだ。
結集によって統一された後、次第に文字にも書き写されていった。
これがお経の始まりだね。
やがて、西インド方言に近いパーリ語や梵語(サンスクリット語)のお経が広まっていく。
中国を経て日本に入っているお経の冒頭には、
よく「如是我聞(にょぜがもん)」とあるのは「私は師よりこのように聞いている」
という意味で、お釈迦様が書かれたわけではなく、
聞き伝わったものを弟子たちが記したものであるからなんだ。
まさに伝言ゲームのようなものだけど、
五〇〇人で確認しあうお経には正確さが求められたのだろうね。南無阿弥陀仏
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