そうだね。
仏教にはお経とされるものが八万四千もあると言われている。
そんななか、キリスト教の『聖書(バイブル)』や、イスラム教の『コーラン』のように唯一のものはないんだ。
この理由の一つは、二千数百年のその歴史の中で、仏教とひとくくりにされる中でも、大乗仏教(自分だけでなく他も救う)や小乗仏教(自らが悟りを得る)、そして密教(仏の力を借りて自らが仏になる)とそれぞれのものの考え方や信仰の中身が違う教えがうまれたため、たくさんのお経ができたともいえるね。
また、もう一つの理由には、広い意味の「お経」には、次のような三つが含まれていることも関係している。
その第一は「経」。
古いインドのスートラを訳したのが「経」で、お釈迦様の没後五百年ほど後に弟子が書き記したことでできたお釈迦様の教えをまとめたもの。
第二は、「律」。
これは、各仏教教団の戒律(規律)を規定したもの。
そして第三は「論」。
これは後世の仏教家が仏典についての研究をまとめたもの。
この三つを合わせて「三蔵」と呼んでいるんだ。
西遊記で出てくる三蔵法師(三蔵法師は一般名詞である。西遊記の三蔵法師は玄奘三蔵)はこの経律論に精通した僧侶で後に三蔵を訳した人としても知られるようになる。
そして、これらすべてが仏教の「聖典」と言えるんだ。
もっと広くとらえれば、各宗派の創始者の著作や古典的な仏教関係書もお経とされるので、この数は膨大なものになるね。
それで仏教で多用される「数多く」を表現する数字で「八万四千」にものぼると言っているんだ。
法然上人は当時あった全ての三蔵を三度読んだといわれその内容を理解していたらしい。
知恵第一の法然坊たるゆえんだね。
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