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執筆者の写真副住職

浄土宗開宗850年を迎えて「法然上人一代記」⑧観経疏と出会い専修念仏へ




2024年、法然上人が43歳で浄土宗を開宗されてから850年の月日が経とうとしています。


現在、全国では浄土宗開宗850年を記念して様々な事業が行われています。


昨年、浄楽寺におきましても、 増上寺布教師会の神奈川メンバーにて、 記念対談・記念念仏などが行われました。


800年以上もお念仏が縁としてつながり、 現代のわれわれの元にも教えとして伝わっているとは、本当に有難いことです。


法然上人がお念仏のみ教えに導いて下さらなければ、 来世での極楽往生は叶わず、輪廻を繰り返すばかりでした。


この850年のありがたさを皆さんにも感じていただくために、 法然上人の一代記を連載でお送りしたいと思います。


「八、観経疏と出会い専修念仏へ」 


黒谷に戻った法然は「報恩蔵(ほうおんぞう)」と呼ばれる経蔵に籠り、 以後二十年近くにわたって様々な書物を読みあさりました。


この時期の法然は『往生要集』や永観、珍海の著作から、 三学の修行もままならない、 ごく普通の人々でも往生ができる念仏こそが真の救いの道であるという 思いを深めていました。


しかし肝心の『往生要集』の中で源信はその根拠を語っていません。


ただ引用されていた 「住人は十人ながら、百人は百人ながら必ず往生できる」 という七世紀の唐の善導が撰述した 『往生礼讃(おうじょうらいさん)』の言葉に法然は目を留めます。


この言葉との出会いを機に、 法然はすべての人が極楽浄土に往生できると断言する善導に傾倒し、 その著述に目を通しました。


そしてついに運命的な出会いを果たす時が訪れます。


それは善導の主著である『観経疏(かんぎょうしょ)』の一節でした。


「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、 念々に捨てざるもの、是を正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に」


すなわち、


「心を込めて一心に南無阿弥陀仏と仏の御名をとなえ、外にある時も、 家にいるときも、坐っているときも、寝ているときもいずれの時も 常に真心を込めて念仏をとなえること。 これこそ正しく往生が叶うように定められた行業である。 なぜなら阿弥陀仏の本願に適っているから」


というものです。


念仏をとなえることで、極楽往生できると断言していたのです。 この善導の著書との出会いにより、 法然は阿弥陀仏の本願に適った称名念仏こそが 万人が救われる道であることを見出したのです。


それまで称名念仏は誰にでもできる行であるため、 高尚な修行とはみなされてきませんでした。


しかし法然はその考えが誤りであったことに気づいたのです。


極楽往生が阿弥陀仏の本願であるという一言に、 法然は、極楽往生は自らの力で果たすものではなく、 阿弥陀仏の他力で叶うものだという発見を得たのです。


すなわち三学が修められない愚か者であろうと、 念仏をとなえれば、往生がかなえられるのです。


法然は直ちに天台宗から離れ、専修念仏の道に帰します。


時に一一七五年三月、法然四十三歳の時でした。


ここに浄土宗が開宗を迎えたとされています。


以降、法然は称名念仏のつとめを実践し、 長い日には六万遍の念仏をとなえ、 死期が近づいた折には七万遍となえたと伝えられています。



続く



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#法然上人一代記

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