3月に入り、令和3年の春がやってまいります。
裸木に 命光りて芽吹くもの 春の陽すでに輝きそそぐ
春は目覚めと気づきの季節です。
野生の動物たちは長い冬眠から目覚め、 養分をためてきた木々は芽吹きます。
例年であれば、 梅や河津桜を楽しむところですが、 まだまだ外には出づらいでものです。
今年もにぎやかなお花見はお預けでしょうか。
緊急事態宣言下にもかかわらず、 国会議員が深夜に銀座のクラブに出かけるなどの不祥事が最近、 相次いでいます。
会見での申し訳なさそうに、 声小さく答えている様子を見て、 もし私だったらどんな気持ちになるだろうと考えました。
「だれが告発したんだ!こうなったのはお前の所為だ」 と他人を責めてしまうのでしょうか。
「本当にまずいことをしてしまった」 と心から反省することができるのでしょうか。
私たちは生まれてから死ぬまで、 日々の中に選択を行います。
右に行くのか、 左に行くのか。
この人の言うことを信じるのか、 信じないのか。
意識的にも無意識的にも最終的には自分で選び、 自分で行います。
つまり自分を取り巻くことは、 どんなことであっても自分の選択が原因となります。
しかし、 自分を正当化したいと思う心が強くなりすぎると、 都合の悪いことは外に押し付けてしまう卑劣な心が育ちます。
この心はきっと、「あなたの所為」を口にしてしまうでしょう。
自分の所為とはうすうす感づいていても、 ついつい口にしてしまう「あなたの所為」。
お釈迦様は 「『自分は愚か者である』と自覚する人はすなわち賢者であり、 『自分は賢者である』とうぬぼれる人はまさしく愚か者である」
と説かれました。
この愚者の自覚は、 「失敗は私の所為」と反省し、 「気づけたのはあなたのおかげ」と思う考え方です。
反省と感謝の思いで生きていくのか、 非難と自賛の姿勢で生きていくのか。
どちらが明るく正しい生き方でしょうか。
この気づきの春にもう一度心に問いかけてみてください。
南無阿弥陀仏