今年はお盆の三日間に「盆竹灯籠まつり」を行いました。
初めての試みでしたが、 三年間の冬眠期間もあって大いに盛り上がり、 地域の皆さんの笑顔が境内に溢れました。
お盆にお還りになられたご先祖さまも にぎやかな様子を見てさぞお喜びになったことでしょう。
来年も開催とのこと、引き続きのご協力をお願いいたします。
暑い暑い夏を終えて、過ごしやすい秋の訪れです。
お盆を終えてすぐに始まるお彼岸は、 日本独自の仏教行事ですが、唯一、 年に二回行われる法会でとても大切にされていることがわかります。
春彼岸と秋彼岸と呼ばれ、春分の日と秋分の日に行われますが、 季節の事を指しているのではありません。
我々がいる娑婆世界を此岸とし、彼岸とは極楽浄土を指しています。
何度もお伝えしていますが、 「彼岸を目指す」という心が育っていない人にとってはこのお話も他人事なのかもしれません。
仏教は「懴悔の教え」と言われます。
罪の意識を持ち、悔い改めることでよりよく生きる為の教えです。
当然のことながら罪悪感無しにはその身を省みることはありません。
反省がなければ、よりよく生きようとする心も生まれません。
ですから、罪悪感なしに仏教への傾倒はあり得ません。
知らずもがな、人は数々の罪を日々に重ねています。
その罪の数は日々に八億四千にものぼり、どうあがいても来世では無間地獄行だと言われます。
無間地獄とは耐えられないと思う間もなく 連続した苦が与え続けられる世界です。
この無間地獄の対極にあるのが彼岸であり、 あらゆる苦悩が消滅した極楽浄土です。
それは何も、来世に限ったことではありません。
今生においても今日の行いに反省が無ければ、 明日は今日よりも悪い日となるでしょう。
その繰り返しの先にどんな世界が待っているのか。 想像するに堪えません。
そんな日々の句読点となるのが「お彼岸」です。
改めてこれまでの自らを省みる、先立たれた先達の言葉を思い出す、 その中に高慢にも自分勝手な貪欲持ちの姿があれば反省し一つ一つ改善していく。
そうしてより良い日々を送ることができるのです。
たくさんの縁に明るい日々か、 一人ぼっちでつらい日々か、懴悔の心を持つか否か、 「至らない私」に気づくか否かです。
気付いたものにはやり直すチャンスを「縁」として頂くことができる。
これも仏教の寛容さであります。
このお彼岸には、ご先祖様をご供養するとともに、 自らを反省する一週間といたしましょう。
そして、その先には必ず極楽浄土に導かれることを願い、 南無阿弥陀仏のお念仏をたくさんお称えください。
「西向こう 沈む夕日に導かれ ついぞあふれる 念仏の声」
南無阿弥陀仏
9月30日までクラウドファンディング実施中!
縁なくしてはお寺は続かない。
その縁を得るためには、様々なきっかけが必要であり、
縁を大切にする心失くして、縁は紡がれない。
浄楽寺では境内の一部を整備して地域に開くプロジェクト行なっている。
樹々を植え、風の通る豊かな広場を設け、
フリマやマルシェなどの地域の資源の循環を助け、
地域の交流を促進し、
地域が豊かになる取り組みである。
共感いただける方はぜひご支援ください。
当プロジェクトはオールオアナッシング。
プロジェクトが達成されなければ支援も、事業も行われません。
縁づくりの中で運慶仏を未来に残す。
ご協力をお願いいたします。